東京浅草という街は、国内外から同じ都内に住まわれている方まで人気があり、どこか都心とは違う雰囲気を纏った地域です。
渋谷や銀座、六本木、秋葉原など東京にはたくさんの文化の街がありますが、浅草は下町の雰囲気が色濃く残っており、台東区の中でも屈指の観光地域として有名です。
浅草では有名な祭事の一つに、三社祭があります。
三社祭は三日間に渡り斎行され、毎日異なる祭事を実施することが見どころの一つです。二日目は浅草神社周辺の町々から100基ほどの神輿が出され、祭りの衣装を着た担ぎ手たちが大勢で神輿を担ぐ姿は圧巻です。
江戸の風情を残しつつ、華やかに神輿を渡御する姿が有名で、そんな日本を代表する祭礼を一度目に焼き付けたいという人々は多く、毎年様々な地域から見に来られる方々で溢れます。
更に浅草にはもう一つ代表する大きな祭事があります。
商売繁盛を願い、毎年11月の酉の日に行わる「酉の市」と呼ばれる関東を中心にした祭事です。
「酉の市」では熊手や招き猫などを購入し、一年の無事の報告と翌年の福を願うといった商売繁盛祈願を目的としています。
他にも勝利祈願、開運、家族の安否などを祈願する人達も多く、華やかな賑わいを見せる祭事です。
また露店も多く出店されているため、観光客はもちろん地元の方々も毎年この行事を楽しみにしています。
東京の中でもどこか異彩を放ち続ける浅草は、地元民からも観光客からも長く愛される街です。長く下町に住み、粋な気質の方々を指した「江戸っ子」という呼び名もあり、これは日本が誇る文化の一つにもなっています。
台東区の中でも屈指の人気を誇る地域ですが、近辺に住まわれている方々も足を伸ばしやすく、活気に満ち溢れる土地柄は気分転換にも最適な環境となっております。
上野は、どこか下町的な雰囲気を醸し出す東京でも屈指のターミナル駅となっております。
観光客をはじめとして人手の多い賑やかさも特徴です。
賑やかさで思い浮かぶのは「アメヤ横丁商店街」、通称「アメ横」と呼ばれる商店街です。
買い物でも観光地としても人気でいつも多くの人で賑いをみせます。
食材から雑貨まで様々な店舗が立ち並び、風情と活気ある雰囲気の中で買い物を楽しむことができます。
テレビでもよくみる力強い雰囲気や、買い物客や観光客で賑わう姿は訪れる人に活力を与え続けており、アメ横は上野を代表する魅力のひとつです。
商いとしては台東区の中でも歴史が深く、昔と現在を繋ぐ空気感があります。かつての光景を肌で感じることもできるため、地元の方々や観光客からも人気の街です。上野は東京のターミナル駅でもあり、JR山手線や東京メトロなど主要沿線が密集しているところになります。日本でも古くからの歴史を誇る文化の街として、国内や海外からも住んでみたい場所として根強い人気があります。
上野桜木は閑静な住宅街として知られています。
下谷桜木町を前身とし、上野台部分は上の花園町から独立したという歴史があります。
町内にある寛永寺は寛永2年(1625年)徳川家光の治世により建造されました。
この寛永寺は徳川家の菩提寺として知られており、都内を代表する寺院の一つです。
街並みは明治、大正、昭和の近代時代の建造物が混在しているため、歴史ある景観を作り出しているところや、寺院や神社を好きな方からも愛されており、街を歩くと当時の情景が目に浮かぶことから国内からの観光客も多いのが特長です。
地名の通り桜の木が多いため桜並木の景観が良く、一本一本が独特な形をしていることも見応えの一つとして有名です。
小説家でもある川端康成も上野桜木に住居を構えていました。
川端康成が一高時代に上野桜木町の賃貸広告を見て、わざわざ現地に足を運んだと記した日記を読み、妻の川端秀子は「川端にとって桜木町というのは、その時以来憧れの街だった」と語った逸話もある地域です。
高級住宅街として名前が知られていますが、地域自体の物価は比較的安く、都心に働きに出ている方々からは住みやすく息抜きがしやすい地域となっております。
そのため、マイホーム購入の検討にはオススメの地域です。
上野公園は上野の山と呼ばれる台地と不忍池からなり、個性豊かな緑や水辺の景観が形成されており、都民の憩いの場となっています。
文化的な会館として東京国立博物館や国立西洋美術館、国立科学博物館など国を代表する会館が多くあります。
特に東京国立博物館は日本で最も長い歴史を持つ博物館で、日本と東洋の美術品や考古品が展示されています。
上野公園はメディアにもよく取り上げられる恩賜上野動物園(上野動物公園)があります。2021年に生まれた2頭のパンダの「シンシン」と「レイレイ」は入場規制される程の人気があり、国内外からの来園が多い動物園になっています。
また、桜の名所としても有名な上野公園はカンザクラ、ソメイヨシノ、カンザンなど多種の桜をみることができ、美しい桜並木を眺めながら春を満喫することが出来ます。桜の時期になると友人や会社内での花見などで数多くの人が上野公園に集まり、春の訪れを感じることができるスポットとして有名です。
台東区の中でも自然をより多く残した情景や年齢関係なく楽しめる施設を多く擁した上野公園は、地元の方々や観光客からも長く親しまれ現在も多くの方から人気のある地域です。
過去の関東大震災や第二次世界大戦で罹災しなかった市街地として、昔ながらの町並みや建造物は当時の姿が残っており歴史と伝統溢れる地域です。
2023年現在、台東区の中で最も多くの人が住んでいます。
人気の一つは、上野の北に位置していて、西はJR山手線、北は荒川区東日暮里・南千住、東は台東区三ノ輪・竜泉・下谷に囲まれた三角形の町域で古くからの建造物が多く残っており、現在と過去の調和が取れた光景が広がっています。
そして歴史ある根岸には著名人が多いことでも知られています。
落語家の7代目林家正蔵一門(海老名家)の家があることでも知られ、特に7代目正蔵、当家出身の初代林家三平は当地名の「根岸(の師匠)」の名でも知られていました。
また初代林家三平の長男であり、9代目である正蔵とその長男(林家三平の孫)である林家たま平も同地出身です。
他にも根岸には、「ねぎし三平堂」と言われ、昭和の爆笑王である初代の林家三平師匠の資料館もあり、当時使用していたネタ帳やテレビ番組の台本などが展示されています。
台東区でも人気の根岸は閑静な住宅地となっておりますので、プライベートでは静かにのんびりと暮らしたい方に人気があります。また交通の便も山手線沿線に位置しているため電車に乗れば新宿、渋谷まで約30分以内で行ける利便性のよい立地が特徴です。
「松が谷」は、元々は松葉町と呼ばれ、江戸が東京になったと同時に誕生しました。
街として約120年の歴史を誇り、徳川三代将軍家光の時代には広沢新田と呼ばれる時代もありました。
松が谷の特色は職人御用達の合羽(かっぱ)橋道具街を構えていることです。合羽橋道具街とは、東京都台東区の浅草と上野の中心に位置する飲食業に関係する商品を販売する問屋街です。
合羽橋道具街では食器や包丁・お鍋などの日用に使う調理器具はもちろん、食品など毎日使うものが高品質かつお値打ち価格で手に入れられます。
そのため、飲食業の方々のみならず、新生活をこれから台東区で始められる方には、1度足を運んでいただきたい場所の一つでもあり、東京を代表する名所でもあります。
工芸品の商店街としても有名で、昔ながらの定食屋で見かける食品サンプルのお店もズラリと並んでいます。
その光景はどこか当時の懐かしさを感じさせ、職人による伝統的な工芸品は知的好奇心をくすぐります。
また毎年10月に行われる合羽橋道具祭りでは、粋な商人達による大盤振る舞いの特価セールが行われます。一定金額以上の買い物で福引イベントも用意されているので、台東区に住まわれている方が毎年楽しみにされている行事の一つです。
この日だけの出店や、子供も楽しめるように玩具などの売り出しがあり、台東区以外の方々も楽しみにされています。
歴史ある問屋街として知られる浅草橋。
江戸城の見張番所として堀にかけられたことから浅草橋の歴史は始まりました。
寛永13年に「浅草見附門」として設置され、多くの人が賑わう拠点を見渡していましたが、現在では見附門は壊されて跡形もありません。
その当時の名残で浅草橋と名前を変えて今もなお、橋のたもとに「浅草見附御門跡」として石碑が残っています。
浅草橋が現在、問屋街となった歴史を辿ると江戸時代にまで遡ります。
現在と違って江戸時代では、陸路より水路が重要視されていて主要な交通運輸機関としては船が使われていました。
江戸幕府にとって重要な物資である米や諸国の産物の大量輸送は船が使われ、すぐ近くには神田川もあったため交通の便を求め土地開発が進み、水運が発達しました。それにより、多くの米や産物が集められるようになり、お店が立ち並ぶようになりました。
お店は発注をかければすぐに自分の手元に物資が来ることもあり、そこから商いが発展したことが浅草橋を問屋街と呼ぶようになった起源です。
神田川沿いの下町情緒溢れる浅草橋は古くから人形や模型、衣料品の問屋が軒を連ねて栄えた街です。
一昔前にタイムスリップしたような、レトロで独特な雰囲気の街並みは当時から変わらずビーズ製品や革製品、バッグなどの雑貨や小物の問屋が連なっています。オフィス街と下町が共存したような情景のため、治安も安定しており、生活するにはとても良いと多くの方から支持されています。
台東区ガイド
TAITO WARD GUIDE
暮らしの豊かさを
実感できる街、台東区
台東区内は地域の大半が商業地域であり、隅田川上を除き全域が
「防火地域」もしくは「準防火地域」となっています。
その他さまざまな建築制限があり、狭小地であった場合は理想の
家づくりは困難と考えてしまう方もいるかもしれません。しかし、
35年以上の経験と実績で台東区の風土を知り尽くした当社なら、
地震にも火事にも強く心から満足できる住まいを実現いたします。
昭和初期の街並みや風情が残り、催事・イベントも多くイキイキ
とした台東区。ずっとこの街で暮らしていくための知識とアイデアが
当社にはあります。台東区の助成や支援についてもご相談ください。
地域情報
台東区の知られざる魅力
注目エリアをご紹介
1947年(昭和22年)、地方自治法の制定によって下谷区と
浅草区が合併し、台東区は誕生しました。
区名の「台東区」は、もともと気品の高い文字である、上野
の高台の「台」と、その東にある下谷や浅草の下町を連想さ
せる「東」を組み合わせたものです。
台東区は東京で最も古い市街地のひとつで、江戸時代入りの
歴史と伝統を有し、地域に根付いた四季折々の祭りや行事が
催されるなど多彩な魅力が満載です。
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根岸
過去の関東大震災や第二次世界大戦で罹災しなかった市街地として、昔ながらの町並みや建造物は当時の姿が残っており歴史と伝統溢れる地域です。
2023年現在、台東区の中で最も多くの人が住んでいます。
人気の一つは、上野の北に位置していて、西はJR山手線、北は荒川区東日暮里・南千住、東は台東区三ノ輪・竜泉・下谷に囲まれた三角形の町域で古くからの建造物が多く残っており、現在と過去の調和が取れた光景が広がっています。
そして歴史ある根岸には著名人が多いことでも知られています。
落語家の7代目林家正蔵一門(海老名家)の家があることでも知られ、特に7代目正蔵、当家出身の初代林家三平は当地名の「根岸(の師匠)」の名でも知られていました。また初代林家三平の長男であり、9代目である正蔵とその長男(林家三平の孫)である林家たま平も同地出身です。
他にも根岸には、「ねぎし三平堂」と言われ、昭和の爆笑王である初代の林家三平師匠の資料館もあり、当時使用していたネタ帳やテレビ番組の台本などが展示されています。
台東区でも人気の根岸は閑静な住宅地となっておりますので、プライベートでは静かにのんびりと暮らしたい方に人気があります。また交通の便も山手線沿線に位置しているため電車に乗れば新宿、渋谷まで約30分以内で行ける利便性のよい立地が特徴です。 -
浅草
東京浅草という街は、国内外から同じ都内に住まわれている方まで人気があり、どこか都心とは違う雰囲気を纏った地域です。
渋谷や銀座、六本木、秋葉原など東京にはたくさんの文化の街がありますが、浅草は下町の雰囲気が色濃く残っており、台東区の中でも屈指の観光地域として有名です。
浅草では有名な祭事の一つに、三社祭があります。
三社祭は三日間に渡り斎行され、毎日異なる祭事を実施することが見どころの一つです。二日目は浅草神社周辺の町々から100基ほどの神輿が出され、祭りの衣装を着た担ぎ手たちが大勢で神輿を担ぐ姿は圧巻です。
江戸の風情を残しつつ、華やかに神輿を渡御する姿が有名で、そんな日本を代表する祭礼を一度目に焼き付けたいという人々は多く、毎年様々な地域から見に来られる方々で溢れます。
更に浅草にはもう一つ代表する大きな祭事があります。
商売繁盛を願い、毎年11月の酉の日に行わる「酉の市」と呼ばれる関東を中心にした祭事です。
「酉の市」では熊手や招き猫などを購入し、一年の無事の報告と翌年の福を願うといった商売繁盛祈願を目的としています。他にも勝利祈願、開運、家族の安否などを祈願する人達も多く、華やかな賑わいを見せる祭事です。
また露店も多く出店されているため、観光客はもちろん地元の方々も毎年この行事を楽しみにしています。
東京の中でもどこか異彩を放ち続ける浅草は、地元民からも観光客からも長く愛される街です。長く下町に住み、粋な気質の方々を指した「江戸っ子」という呼び名もあり、これは日本が誇る文化の一つにもなっています。
台東区の中でも屈指の人気を誇る地域ですが、近辺に住まわれている方々も足を伸ばしやすく、活気に満ち溢れる土地柄は気分転換にも最適な環境となっております。 -
浅草橋
歴史ある問屋街として知られる浅草橋。
神田川沿いの下町情緒溢れる浅草橋は古くから人形や模型、衣料品の問屋が軒を連ねて栄えた街です。
一昔前にタイムスリップしたような、レトロで独特な雰囲気の街並みは多くの人からも愛され続けています。オフィス街と下町が共存したような情景のため、治安も安定しており、生活するにはとても良いと多くの方から支持されています。
江戸城の見張番所として堀にかけられたことから浅草橋の歴史は始まりました。
寛永13年に『浅草見附門』として設置され、多くの人が賑わう拠点を見渡していましたが、現在では見附門は壊されて跡形もありません。その当時の名残で浅草橋と名前を変えて今もなお、橋のたもとに『浅草見附御門跡』として石碑が残っています。
浅草橋が現在、問屋街となった歴史を辿ると江戸時代にまで遡ります。
現在と違って江戸時代では、陸路より水路が重要視されていて主要な交通運輸機関としては船が使われていました。
江戸幕府にとって重要な物資の米や諸国の産物の大量輸送は船を使われ、すぐ近くには神田川もあったため交通の便を求め土地開発が進み、水運が発達しました。
それにより、多くの米や産物が集められるようになり、お店が立ち並ぶようになりました。
お店は発注をかければすぐに自分の手元に物資が来ることもあり、そこから商いが発展したことが浅草橋を問屋街と呼ぶようになった起源です。
しかし、今の浅草橋も江戸時代以降は何度も作り直されていました。
木材から石材に、石材から鉄材へと橋の材質や構造を変えながら姿を変えてきました。
現在の橋は1930年に作り直されていますが細かい修復も重ね、今もなお当時の形のまま残っています。
現在に至るまでも隅田川と神田川に挟まれた立地にあることが利点に繋がり、物資輸送の拠点として問屋業が発達しています。オフィス街としても現在は多くの方に親しまれ続けていますが、当時から変わらずビーズ製品や革製品、バッグなどの雑貨や小物の問屋が連なっています。
また花火やバルーンの問屋で小売も行っていることから家族で足を運び、楽しめることも人気の一つです。
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上野
上野は、どこか下町的な雰囲気を醸し出す東京でも屈指のターミナル駅となっております。
観光客をはじめとして人手の多い賑やかさも特徴です。
賑やかさで思い浮かぶのは「アメヤ横丁商店街」、通称「アメ横」と呼ばれる商店街です。
買い物でも観光地としても人気でいつも多くの人で賑いをみせます。
食材から雑貨まで様々な店舗が立ち並び、風情と活気ある雰囲気の中で買い物を楽しむことができます。
テレビでもよくみる力強い雰囲気や、買い物客や観光客で賑わう姿は訪れる人に活力を与え続けており、アメ横は上野を代表する魅力のひとつです。
商いとしては台東区の中でも歴史が深く、昔と現在を繋ぐ空気感があります。かつての光景を肌で感じることもできるため、地元の方々や観光客からも人気の街です。上野は東京のターミナル駅でもあり、JR山手線や東京メトロなど主要沿線が密集しているところになります。日本でも古くからの歴史を誇る文化の街として、国内や海外からも住んでみたい場所として根強い人気があります。 -
上野公園
上野公園は上野の山と呼ばれる台地と不忍池からなり、個性豊かな緑や水辺の景観が形成されており、都民の憩いの場となっています。
文化的な会館として東京国立博物館や国立西洋美術館、国立科学博物館など国を代表する会館が多くあります。
特に東京国立博物館は日本で最も長い歴史を持つ博物館で、日本と東洋の美術品や考古品が展示されています。
上野公園はメディアにもよく取り上げられる恩賜上野動物園(上野動物公園)があります。2021年に生まれた2頭のパンダの「シンシン」と「レイレイ」は入場規制される程の人気があり、国内外からの来園が多い動物園になっています。
また、桜の名所としても有名な上野公園はカンザクラ、ソメイヨシノ、カンザンなど多種の桜をみることができ、美しい桜並木を眺めながら春を満喫することが出来ます。桜の時期になると友人や会社内での花見などで数多くの人が上野公園に集まり、春の訪れを感じることができるスポットとして有名です。
台東区の中でも自然をより多く残した情景や年齢関係なく楽しめる施設を多く擁した上野公園は、地元の方々や観光客からも長く親しまれ現在も多くの方から人気のある地域です。 -
上野桜木
上野桜木は閑静な住宅街として知られています。
下谷桜木町を前身とし、上野台部分は上の花園町から独立したという歴史があります。
町内にある寛永寺は寛永2年(1625年)徳川家光の治世により建造されました。
この寛永寺は徳川家の菩提寺として知られており、都内を代表する寺院の一つです。
街並みは明治、大正、昭和の近代時代の建造物が混在しているため、歴史ある景観を作り出しているところや、寺院や神社を好きな方からも愛されており、街を歩くと当時の情景が目に浮かぶことから国内からの観光客も多いのが特長です。
地名の通り桜の木が多いため桜並木の景観が良く、一本一本が独特な形をしていることも見応えの一つとして有名です。
小説家でもある川端康成も上野桜木に住居を構えていました。
川端康成が一高時代に上野桜木町の賃貸広告を見て、わざわざ現地に足を運んだと記した日記を読み、妻の川端秀子は「川端にとって桜木町というのは、その時以来憧れの街だった」と語った逸話もある地域です。
高級住宅街として名前が知られていますが、地域自体の物価は比較的安く、都心に働きに出ている方々からは住みやすく息抜きがしやすい地域となっております。
そのため、マイホーム購入の検討にはオススメの地域です。
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松が谷(合羽橋)
「松が谷」は、元々は松葉町と呼ばれ、江戸が東京になったと同時に誕生しました。
街として約120年の歴史を誇り、徳川三代将軍家光の時代には広沢新田と呼ばれる時代もありました。
松が谷の特色は職人御用達の合羽(かっぱ)橋道具街を構えていることです。合羽橋道具街とは、東京都台東区の浅草と上野の中心に位置する飲食業に関係する商品を販売する問屋街です。
合羽橋道具街では食器や包丁・お鍋などの日用に使う調理器具はもちろん、食品など毎日使うものが高品質かつお値打ち価格で手に入れられます。
そのため、飲食業の方々のみならず、新生活をこれから台東区で始められる方には、1度足を運んでいただきたい場所の一つでもあり、東京を代表する名所でもあります。
工芸品の商店街としても有名で、昔ながらの定食屋で見かける食品サンプルのお店もズラリと並んでいます。
その光景はどこか当時の懐かしさを感じさせ、職人による伝統的な工芸品は知的好奇心をくすぐります。
また毎年10月に行われる合羽橋道具祭りでは、粋な商人達による大盤振る舞いの特価セールが行われます。一定金額以上の買い物で福引イベントも用意されているので、台東区に住まわれている方が毎年楽しみにされている行事の一つです。
この日だけの出店や、子供も楽しめるように玩具などの売り出しがあり、台東区以外の方々も楽しみにされています。
台東区に住むメリット
生活環境
台東区は東京都のほぼ中心に位置しています。お祭りや寺社を中心とした歴史的な行事が多く、台東区民のおよそ8割が「ずっと住み続けたい」と考えているほど魅力溢れる区です。また上野恩賜公園や隅田公園、隅田川に接しており自然が豊かなため子育てにも適した環境です。交通の便も非常に良く、電車に加え地域間の移動では、都営バスや台東区内を循環するコミュニティバス「めぐりん」が運行しているため、学生や社会人にとっても住みやすいといえます。
イベント
上野や浅草周辺には江戸から続く独自の文化が根付いており、伝統的なお祭りである鳥越神社大祭や七夕の前後に開催される下町七夕まつりなど数多くのお祭りで賑わっています。またお祭りごとだけでなく、国内外から観光客の集まる「隅田川とうろう流し」や全国に新しい風習として広まりつつある「夏詣(なつもうで)」などのイベントも盛んに行われており、家族や友人と楽しい時間を過ごせるでしょう。
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